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今我が國を覆う「緊縮財政」は、論理ではない。
思想である。
最早宗教ですらある。
緊縮財政とは、詰まる所市井に説明されるときには
無駄を省き、豪奢を忌み、質素倹約に励むことと
されるのだろう。
例を挙げよう。
大學から
生財有大道。生之者衆、食之者寡、為之者疾、用之者舒。則財恒足矣。
「財を生ずるに大道あり。これを生ずる者おおくして、これを食らう者すくなく、これをつくる者疾やくして、これを用うる者ゆるやかなれば、すなわち財つねに足る。」
http://kanbun.info/keibu/daigaku10.html
入るを量りて、出ずるを制す
二宮尊徳(二宮金次郎)
ググればたくさん出てくるので、あえて解説しなくても良いように思う。
収入の範囲内で支出を決めようというもの。
・・・財務省の役人が聴いたら驚喜しそうである。
所謂国の借金と聞いて、道徳ととけば
必ず緊縮財政に行き着くのだ。
尊徳の元ネタは礼記だろう。
尊徳の元ネタは礼記だろう。
礼記から
「礼記・王制」には「三十年の通を以て、国用を制し、入るを量りて、以て出ずるを為す」とあります。「三十年間の平均で、国の予算を組み立てるようにし、まず収入の方をよく押えてから支出の方を計画する」と記されているのです。
「礼記・王制」には「三十年の通を以て、国用を制し、入るを量りて、以て出ずるを為す」とあります。「三十年間の平均で、国の予算を組み立てるようにし、まず収入の方をよく押えてから支出の方を計画する」と記されているのです。
http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo97.htm
礼記の時代ですら30年というスパンをもって考えているのだが
安倍ちゃんはじめ、政府の人々、市井に至るまで
単年度での収支均衡を理想としてその実現に邁進し
取り返しのつかないツケを次世代に回してしまっている。
思うに、上杉鷹山にしろ二宮尊徳にしろ
その解決した財政は一地方のものであり、
通貨発行権を持った「国」ではない。
それを国家財政に適用してしまう点に問題の根源がある。
2000年前の財政政策を現代管理通貨制度の財政に当てはめようという
無理にさえ、多くは気づいてすらいない。
併し、まじめに勉強し、賢くなって、施政にかかわるようになった人や
企業経営者などは、この道徳の虜なのだろう。
教科書を持ってきて、ここにこうかいてあるから全てにおいて
適用して正しいとするようなものである。
だが、敢えて言おう。
そんなものは、詞章記誦にのみ拘った耳学問であり
本物ではない。
管理通貨制度にある現代国家財政に上記緊縮道徳を持ち込むのは
郷愿と断じて差し支えない。
もっと、真摯に現実と相対し(格物)、思索に耽溺し、
一切の是非の素定、好悪の執滞を廃し、
議論すべきなのだ。
蛇足
私が郷愿と非難するような人が、
所謂人格者と見做される人に実に多いのだ。
困ったものだ。
蛇足
私が郷愿と非難するような人が、
所謂人格者と見做される人に実に多いのだ。
困ったものだ。
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