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晴時々曇一時雨

高気密高断熱住宅に関する話題。 時事ネタなど。

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東洋経済らしい日本人のとらえ方
日本人が日本人たるためにどんな年少教育が必要か?
という問いに、
インターナショナルスクールに通わせて
世界標準言語である英語を使えるようにしないと日本人になれない
とする、著者の主張は到底受け入れがたい。
論理が飛躍しすぎて意味がわからない。

私は、国際的に日本人であることを自認するためには
日本とは何か?国の興りは?宗教観は?
そして、いかに日本が誇らしい国であるかをすらすらと言えること。
これが、最低条件だと考えます。
相手の国のことを理解するためには、自分の足下をまずしっかりと
固めることが必要です。

外から日本を眺めるのは、必要不可欠な視点ですが
それは確固たる自分が確立してからの話。
幼少時から海外で暮らしていては、日本人としての
アイデンティティーの確立が出来ず、ニューハーフみたいな
どっちつかずの存在になってしまいます。

先ずは、教育勅語を現代語で理解し、古事記を読む。

そこから始めるべきだと思います。

続きには、原文を引用しておきます。
http://toyokeizai.net/articles/-/12971
なぜ日本は「エセ日本人」だらけなのか?
「健全な愛国心」と「不健全な愛国心」
山田 順:ジャーナリスト2013年2月20日
 
日本人はどうやって日本人になるのだろうか? そんな誰もが意識したことがないことを、グローバル化という視点でとらえていくとどうなるだろうか??21世紀のグローバル化が私たちに突きつけている問題は、国際標準語(英語)を話す国際人になることではない。日本人という確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になることだ。
しかし残念ながら、日本で日本人の両親から生まれ、日本の教育を受けて育つと、真の日本人にならない。一人娘をアメリカと中国の教育で育てたジャーナリストが、その経験を基に、日本人とは何かを問いかける。
 
オリンピックなどの機会を除いて、われわれが日の丸を目にすることはまれだ(写真:AP/アフロ)
日本人に欠けている4つの要素
 
「私たちはどうやって日本人になるのだろう?」
 
今回から始めさせていただく連載のテーマは、これである。こう書いただけで、「???」と思う方が大半だと思う。中には、そんな当たり前のことが、なぜ原稿のテーマになるのか? と言う方もいると思う。
 
なぜなら、ほとんどの日本人は、「自分は自然に日本人になった。日本人になるために、なにか特別なことなんかしなかった」と思っているはずだからだ。日本で、日本人の両親から生まれ、日本の学校に通い、日本で育てば、誰だって日本人になるに決まっている。そう思い込んでいるからだ。
 
しかし、それは本当だろうか?
 
実は、私はあるときからそうは思わなくなった。日本で日本人の両親から生まれ、この国で教育を受け、この国で育っただけでは日本人になれない。なれるのは、日本人というアイデンティティを持たない、日本人とは呼べない「エセ日本人」だけだ。
 
こう書くと、「えっ、ということは今の日本人の大半が日本人でないということになりますが?」と聞かれるが、そのとおりではないだろうか。今の日本人の大半は、私が信じる日本人ではない。
 
なぜなら、まず、日本に対する健全な愛国心、郷土愛がない。次に、日本の歴史を知らなすぎる。続いて、異文化を知らない。さらに、世界標準語(英語)を話せない。
 
人類の歴史上、最も世界が狭くなったこのグローバル時代に、この4つの要素を欠いていたら、どうやって自分の人生を切り開けるのだろうか?
 
日本人に限らず「〇〇人になる」ということは、実は大変な努力と勉強がいる。それをしないで「〇〇人になる」などということはありえない。世界の多くの国では、これが当たり前である。なぜなら、大抵の国家はいくつかの民族コミュニティの集合体であり、日本のようにほぼひとつの民族、ひとつの言語、ひとつと言っていい文化で成り立っていないからだ。
 
たとえばアメリカには、もともとアメリカ人という国民は存在しなかった。新大陸を目指して欧州各地から来た移民が、やがてアメリカ人としてまとまっていったわけだから、アメリカ人となるには人工的な努力が必要だった。
 
その象徴が、星条旗(アメリカ国旗)への忠誠である。
 
アメリカ人は子供の頃から忠誠を誓う
 
9.11(ナインイレブン:同時多発テロ)の後にニューヨークに行くと、街中のほとんどのビルに星条旗が掲揚され、道行く車も星条旗をはためかせて走っていた。それは、日本人の私には異様な光景だった。これほどたくさんの国旗が街を埋め尽くすのを見たことがなかったからだ。
 
私が育った家では、祝日でさえ日の丸を掲げなかったし、日本の教育現場では日の丸の掲揚をめぐって長年にわたり教師がもめていた。
 
アメリカの小学校に子供を行かせた方ならご存知だと思うが、子供たちは毎朝、星条旗に向かって全員起立し、片手を胸に当て、「忠誠の誓約」(The Pledge of Allegiance)を唱える。
 
「私は、わがアメリカ合衆国の国旗、すべての人々に自由と正義が存する、分かつことのできない、神の下での一つの国家である共和国に忠誠を誓う」(I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands: one Nation under God, indivisible, With Liberty and Justice for all.)
 
これは公立ならハイスクールまで続く。この誓いの文言を暗誦できない子供はいない。だから、アメリカ人かどうか知りたければ、この「忠誠の誓約」を暗誦できるかどうかを試してみればいい。
 
ちょっと話がそれたが、ともかく、こうした人工的なプログラムにより、子供たちはアメリカ人になっていくのである。これは、多民族社会のアメリカがまとまるには必要なことかもしれないが、この光景を目にすると、戦後教育で育った私にはやはり奇異に映る。
 
今の日本の教育現場には、日本人をつくっていくというプログラムがない。しかし、戦前は違った。私の父は戦争に行った世代だから、教育勅語、歴代天皇名を暗誦できた。戦前は、軍国主義と言われようと、それに適した日本人をつくるプログラムは存在していたわけだ。
 
最近は、尖閣列島を巡って中国との対立が激化したせいもあり、愛国心についての議論はなくなった。自虐史観論争も過去のものとなった。
 
しかし、ついこの前まで、日本人は世界でもまれな愛国心なき国民とされていた。それは、「世界価値観調査(2005)」という調査で、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という設問に「はい」と答える日本人の割合がなんと15.1%と、調査対象国24カ国中最低だったことに表れている。
 
ちなみにスウェーデンは80.1%、中国は75.5%、アメリカは63.2%である。また、「あなたは○○人であることにどれくらい誇りを感じますか?」に「非常に感じる」「かなり感じる」と答えた人の数も、日本は断トツに低い57.4%で23番目である。
 
このデータは、古市憲寿氏の『絶望の国の幸福な若者たち』や橘玲氏の『(日本人)』にも紹介されていて、日本人の特殊性を示す指標となっている。
 
愛国心とは何か?には、正確な定義はないが、ここからわかるのは、日本人が日本人であることに対する愛着が薄く、さらに、国家に対して忠誠を誓うことが好きではないということだ。
 
中国人は愛国心が薄い
 
私は常々、愛国心には2種類あると思ってきた。健全な愛国心と不健全な愛国心だ。たとえば、国民を不幸に追いやる戦前の国体(国家体制)を愛せるだろうか? 郷土やそこに暮らす人々を愛する気持ちと、国家(政権、体制)そのものを愛する気持ちは切り離すべきだ。そうでないと、ナショナリズムに取りつかれ、ただ単に「大日本帝国万歳」という偏愛的な愛国心しか持てなくなる。
 
中国人ほど、愛国心が薄い国民はない。「愛国無罪」で反日行動をするのは、頭の程度が低いか、あるいは他の目的のカモフラージュである。一般中国人のほとんどは、北京政権を嫌っている。酒を飲んで本音を聞けば、政府、共産党の悪口ばかりである。
 
結局、いまは稼がせてくれるから愛国者のふりをしているだけだ。その証拠に、成功しておカネをつかむと、彼らはどんどん国を出て行く。ただ、郷土愛は私たち日本人より深いかもしれない。
 
ちょっと説明が難しいが、前記した「愛国心が薄い」日本人と、「中国、韓国、ふざけるな」と騒ぐネトウヨのような人間の心理的な根っこは同じである。それは、日本しか知らず、日本語しか話せないことの結果だからだ。前者は自己愛しかなく、後者も自己愛しかないが、その自己愛の基盤が日本人ということだけだからだ。
 
人は自分が何者か知るためには、必ず他者の視点がいる。それが、不健全な愛国者にはない。このような不健全な愛国主義は、自国中心主義、自民族中心主義としか言えない。
 
名作『ジャングル・ブック』で有名なイギリスの作家ラドヤード・キップリングは、「イングランドしか知らない人に、イングランドの何がわかるか」と言った。キップリングはインド生まれ。だからこそ、母国イギリスを理解したうえで心から愛したのである。
 
グローバル化でいくら国境がなくなろうと、人間は生まれ育った環境と社会に強い愛着を持つ。しかし、その愛着は外の世界を知って初めて強く意識され、その結果、健全な愛国心が育まれる。
 
つまり、ただ単に日本に生まれ、日本の学校に通い、日本で育っただけでは、日本人にはならないのだ。
 
だからと言えばカッコよすぎだが、今から26年前、私は一人娘をインターナショナル・スクールのキンダーガーテン(幼稚園)に入れた。当時、横浜には3つのインターがあったが、そのうちのひとつセントジョセフ(2000年廃校)に、娘は3歳の誕生日の直前の9月から通うことになった。
 
この入学の経緯については次回に書くので、今回書いておきたいのは、その後、娘が小学校入学学年になったときの出来事だ。
 
「お子さんは日本人になりませんよ」
 
日本全国どこでも同じと思うが、子供が小学校就学年齢に達すると、役所から「入学通知書」が来る。翌年の4月から就学する学区内の学校名、健康診断の日時などが書かれている。
 
当然、私のところにも来た。しかし、その時点ですでに娘はキンダーを終え、エレメンタリー(小学校)の1年生になっていた。そこで、在学証明書を出してもらい、役所に指定の小学校には進学しない旨を届けに出掛けた。
 
すると、窓口の係の男性は、「そんなものは受け取れません。インターは日本の小学校ではないので不受理です」と言った。
 
「そうなんですか? 進学しない場合、たとえば私立に行くなどの場合は、届けるようにとのことでしたが。では、どうすればいいんですか?」
 
「そんな日本国民でないようなことをする人間に教えられませんよ」
 
この言葉に私はカチンと来た。まるで、非国民扱いではないか?
 
「何か間違っていますか?」
 
「ええ、お子さんは日本人になりませんよ」
 
結局、就学先の小学校に連絡し、行かないことを告げてほしい。それだけやっておけばいいということになった。ところが、私たち夫婦はこれをうっかり忘れてしまった。
 
4月になって、その小学校の校長から電話がかかってきた。
 
「お宅のお子さん、入学式に来られませんでしたが、どうかなさったんですか?」と言うので、事情を説明した。すると、「そうですか。そうされても、これは義務教育ですから、名簿と席はそのままになり、不登校扱いになりますよ。インターは文部省認可の学校ではありませんから、お子さんは小学校も中学校も卒業したことになりませんよ。日本人に育てないのですか?」と言う。
 
しつこい先生だなと思ったので、「いや、日本人にするためインターに入れたんです。異文化を知り、英語を話せなければ日本人にならないでしょう」と言うと、こちらが頭がおかしいとでも思ったのだろう。「お好きなように」と、電話は切れた。
 
さて、そんなことがあってしばらくして、私にとってショックな出来事が2つ起こった。あるとき家族で、女子のバレーボールのテレビ中継を見ていると、娘が家内にこう聞いた。
 
「ねえ、あれなあに? ほら、みんなが持っている赤い玉が書いてあるの」
 
「赤い玉って、ああ、日の丸のこと?」
 
「あれ、日の丸と言うの? それ、なあに?」
 
なんと、娘は日の丸が日本国旗だと知らなかったのである。
 
インターナショナル・スクールでの言語は英語だ。主にアメリカ人の子供、それ以外の国の子供、そしてハーフ、帰国子女、純粋日本人の子供(わが家の娘の場合)と、国と民族はさまざまだが、共通言語は英語だ。日本語を使うと、先生に注意されデメリット(減点)をもらう。
 
とはいえ、日本にあるため、日本人の生徒には日本語の授業が組まれていた。また、家では日本語だし、「あいうえお」などの読み書きは親も教えていたので、まさか、日の丸を知らないとは思いもしなかった。
 
子供の頭の中に、国境はない
 
それからまたしばらくして、家族で北海道旅行をすることになった。このとき、札幌に向かう飛行機の中で娘が私にこう言った。
 
「パパ、飛行機を降りたら何語をしゃべればいいの?」
 
それまで、娘が飛行機に乗って行ったところは、アメリカと家内の実家の九州・宮崎しかない。だから、日本語か英語のどちらなのか聞きたかったのだろう。このとき私は、子供の頭の中には国境がないということを知った。
 
この2つの出来事から、私は、娘を日本人に育てるには、それなりのことをしなければならないということを悟った。異文化教育、英語教育は足りても、今度は日本文化や風習、歴史などの教育が足りなくなる。それなら、そちらは学校では無理なので、私自身が教えなければならないと、このとき思った。
 
これは、海外で現地校に通いながら週末は日本人学校に通うのと同じことだ。ただ、日本人学校は日本の教育をそのまま持ち込んでいる。しかし、家庭で私が「一人日本人学校」をやる以上、自分が経て来た日本の教育の悪い部分はやめようと思った。
 
当時は、1980年代のバブル真っ盛りの頃で、いま思うと日本中が傲慢になっていた。そんな中で、国際化が叫ばれ、自虐史観批判があり、平和ボケや憲法議論などが盛んだった。しかし、私はどの意見にも賛同できなかった。
 
そこで、今後、娘が大人になるまでに、「日本人とは何か」ということを自分なりに考え、それを娘に教えていこうと思った。
 
※ 次回は、娘のインターナショナル・スクール入学時の話を中心にお届けします
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