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靖国神社で不戦の誓い?
靖国神社のことをWar Shrineなどと書く
不逞の輩がいることに憤り、調べていたのだけれども
靖国神社で不戦の誓いってのは、やっぱりちょっと違うかもしれんなぁと。


以下、私の考えとは全く相容れない部分もあるけれど
示唆に富む内容なので、一部ご紹介。

http://www.linelabo.com/nagura0508b.htm

 小泉首相は,この原稿をほぼ書き終えた今(七月四日現在)もなお,靖国への参拝に固執している。首相はその理由として幾度となく,「不戦の誓いをするためだ」と述べている。
 だが,神社創建時の,「敵方」の「魂」をすべて排除し,「味方」の「魂」のみを招くという原則は,その後の靖国神社においても完全に貫かれていった。それも,戦闘の場で,戦うことで「天皇」のために命を捨てた者の「魂」だけを撰びとることを第一原則とした。そして,その者の「魂」を「英霊」として慰め,褒め称える「大祭」をくり返しくり返し行ってきた。そうすることにより,合祀の大祭,「慰霊」に連なる者が,己おのれもあとに続くことをその「魂」に誓う,つまりは,招集された若い兵隊たちが,「靖国で会おう」と,天皇のために一命を捨てることを誓って戦地へ散っていくという,そのための施設,戦争完遂を誓うための施設へと,その軍国主義的性格を強めていったのである。
 さればこそ,日中戦争・太平洋戦争における戦死者の内,「敵方」である中国・朝鮮・東南アジア各地の,一七〇〇万にのぼると言われる軍民の「魂」や,サイパンや沖縄戦などで死去した米兵数万の「魂」を「招」いてなどいないのはもちろん,「味方」であるはずでも,戦地ではないところでの戦争の犠牲者,広島約二〇万・長崎一四万の原爆犠牲者(ともに終戦数年後の死者を含む)や,東京大空襲約一〇万八〇〇〇を含む全国各地の空襲での犠牲者約三〇万,また,その姿が会津藩の「自決」と重なる,あの沖縄戦の約九万五〇〇〇(軍部に戦闘協力者と認められた五万五〇〇〇を除外した数)の一般住民犠牲者たちは,すべて「招魂」=「合祀」から排除されたのである。
 また,さればこそ,戦争に重大な責任有りとして国際法廷において「戦犯」とされた者を,その極東軍事裁判の結果を受け入れることで国際社会に復帰できたことなども一切無視し,英雄扱いし,その「魂」を,ひそかにでも,「招」くことが必要だったのである。かつて,戊辰戦争終結時の松前藩で,榎本隊に占領されたためにやむを得ず協力した商人たちまでをも「戦犯」として処刑し,彼らの「魂」を「招」いたりは,もちろんしなかったのに,である。
 これら一切が,戊辰戦争時の「招魂」に発する「靖国の思想」なのである。
 このような靖国の地で,不戦の誓いなどが成り立つはずもない。「A級戦犯」合祀云々以前の問題である。
 もしも,首相が本気で不戦の誓いをしたいと願うなら,近代日本が歩んだ戦争のすべての,とまでは無理としても,せめて日中戦争・太平洋戦争中の文字通りのすべての「戦争による犠牲者」,すなわち,「敵」「味方」,「軍」「民間」一切の差別なく,全死者の,氏名は無理であろうから,わかる限りの数を,年月日・場所(事由)ごとに記した「不戦の碑」,もしくは「平和祈念碑」を建て,その碑の前に誓うべきであろう(「慰霊碑」という語は,何のために慰霊するのかが暖味となるだけでなく,「霊」という多少なりとも宗教的な観念を認めることが前提となるので適切ではない)。
 それが今すぐは無理だというなら,今すぐにできる不戦の誓いがある。日本が二度と再び戦争をしないと,国際社会に対して誓った,あの憲法第九条だけは,たとえ憲法を変えることがあっても,絶対に変えません,と首相の名において宣言するごとである。


えっと、最後の部分は頭がおかしいというか、ちゃんと文を読んでいるのか?と疑いたくもなるし、大東亜戦争で散華された英霊達も、決して「天皇ただひとりのため」にではなく「子供達やまだ見ぬ未来の日本人(日本=天皇)のために」散華されたと、当時の遺書などをみても思うわけだが。そのほか、いわゆる朝日史観というか左巻きの臭いがプンプンすすけれども、それ以外の内容は、ふむふむと参考になるんじゃなかろうか?
それにしても、靖国神社の歴史は浅く、すぐに調べられるのでどんな人達を祀っているのか調べてみてはどうかと思う。
そのうえで、「死ねば敵も味方もない」という一般的な日本人の神道精神にもとづく形に靖国神社を変えていってはどうかと思う次第。

まだまだ煮詰まってないでしょうか?
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