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熊沢蕃山の大学或門が手に入ったので
・・・と言っても活字版ですがw
興味深く読んでいます。
中でも私の琴線に触れたのは、米と貨幣の交換レートを市場ではなく
幕府が定め、銀貨金貨と同様に通貨として使用できるようにする
と言う部分です。
年貢として米を取り立てて、江戸や大坂で貨幣と交換しないと
何も買えないので、無駄に米が集まる一方で、地方は疲弊し
下士階級や農民は貧困に喘ぎ、苦しんでいる。
蕃山というと、農兵政策や治水が注目されがちですが、
地域通貨的な発想で、米を通貨の代わりにするというのは、
興味をそそります。
金銀と違って 、莫大な蓄積が困難なこと、ひょっとすると
減価すること、など經濟の活性化、富の偏在の解消など
期待できるのではないでしょうか?
私自身、考えがまとまっていないので
もう少し熟読して考えようと思います。PR -
大正時代、後の昭和天皇が狙撃をうけた事件についてのものであるが
昨今の政治状況についても謂えることと思い、ここに引用する。
安岡正篤著 日本精神の研究 p176 高杉東行の頁より
難波大助が恐れ多くも摂政宮殿下(昭和天皇)を狙撃し奉った時、飛報を聞いて痛憤を発した沼波瓊音教授、一日慨然として嘯傲すらく、
他の一切を考うるな
ただ虎の門の飛弾を思え
大助を責むる前に先ず我等自らを責めよ
内閣忽ち倒れたり
されど責任は首相にあらず、内閣にあらず、実に国民にあり、我等にあり
暴君「新聞」をして欲するが儘に方言せしめて些の批評些の制裁を加えざりし国民にあり木片を礼拝するは迷信ならず。範は内にあらず必ず外にありと信ずることこそ迷信なれ
古きを古きが故に尊しと為すは固陋ならず、新しきを新しきが故に高しと為すことこそ固陋なれ
大道千古
核心不易
流行はその皮相のみ
活発健全なる流行は不易を心として始めて行われる
大道あって始めて進歩あり
守るべきもの必ず内に在り。六合いずれの所か然らざらむ
因襲を打破せよと云う、然り因襲を打破せよ。博士に傾聴する因襲を打破せよ
起て、起て、国民
自国を卑しむを新しとし、歴史を無視するを新しとし、文弱を新しとし、姦通を新しとし、大逆をも新しとせんとする輩を不倶戴天の仇とせよ
なま悟りを踏み砕け、善悪邪正を明らかに審判せよ
而して悪を討ち邪を滅ぼすが為に世に人あるを思え
限り無く空論にさまよい、白人を偶像とする学者を溝に蹴入れよ
いかなる場合にも花鳥にうつつを抜かす雅客、術語を弄ぶ研究家の背中を胴突け
名利の肌に正義の衣着けたる政治家は悉く我が敵なり
心を与えずして知のみを与うる教官も将来の生活の為にそを聴く学生も悉く我が敵なり
松明を振れ、鉾を八面に振れ
思索は春永にゆずれ、今は直覚にて足る。哲学を止めよ。信仰に拠れ
書を閉じよ、才と策とを止めよ
国民悉く秀吉たれ。一人の家康を要せず。上野の砲声をよそに三田に書を講ぜし諭吉を学ぶな
虎の門の飛弾、凶はすなわち大凶なりき。然れども大なる哉(かな)直毘霊(なおびたま)
飛弾、殿下を犯す能わず。却って殿下を更に偉ならしめたり
尚且つ更に日本をして偉ならしめんとす
疑う勿(なか)れ、最後の審判者は我等の君臣の謂なり、メッシアの出世は我等の謂なり、弥勒の出現は我等奮起の予言なるを
国祖の令、雷の如く蒼天に響く
令のままに行進せよ
魔は多し。魔多ければ神愈々(いよいよ)強し
邪を蹂躙し、悪を寸断し、冷静を鞭ち、歩武整々と行進せよ
大日本帝国の旗を翻し、大日本帝国の鼓を鳴らし、堂々と行進せよ -
保守とは、その定義から急進的に何かを変えようとする人のことではない。
安倍総理は、所謂岩盤規制をドリルで破壊する!などと入ってしまうほど急進的である。
加えて言えば既に数々の急進的破壊を繰り返してきた。
よって、安倍総理は保守ではない。
ただ、愛国者であることを否定し得ない。
そういう意味では、シールズの人達も愛国者である可能性を否定できない。
・・・、同類?
論理的には、そういう結論にはなりませんが。
一方で、安倍総理に逆らえない保守議員もいるという。
・・・。これぞ保守の鑑!?
おいっ!
君、君たらずんば 臣、臣たらず。
と、続けたいところですがやめときます。 -
この図から、安倍政権の失敗を見抜けぬとは・・・orz
児童数が減り、保育所の定員を増加させているにもかかわらず
待機児童が増えるの怪!
そりゃ、増税と緊縮財政で家計をメッタメタに痛めつければ
こうなりますわな。
働かなきゃ生活ヤバイもん!
安い労働力がたくさん供給されてよかったですね>安倍さま -
孝経を読んでいると、ふと
「立身行道揚名於後世 以顕父母 孝之終也」
(身を立て、道を行い、後世に名を揚ぐ)
(もって父母を顕すは、孝の終なり)
という文が目にとまった。
ほうほう、これは「仰げば尊し」ではないか?
ただまあ、「名を揚ぐ」が最後に来ているのは、決して生前の
名利ばかりのことではないからのようであるが。
と、孝経の解釈を学んだ所で
仰げば尊しを調べてみるとこんな記事が出てきた。
今どきの卒業式では「仰げば尊し」は歌われない!…その理由とは?http://spotlight-media.jp/article/122921357331959890
その他にも「歌詞が時代に合わない」という理由も
「仰げば尊し 我が師の恩」が教師への尊敬を押しつけ、「身を立て 名をあげ やよ励めよ」は立身出世主義だ-と教育現場で声が上がり、敬遠されて言ったという説もありました。「童謡として子供が歌うには暗い歌だから」という意見もあるとか。
教師への尊敬を押しつけ・・・(゚д゚)!
まあ、確かに尊敬できない先生もいたことは確かではあるが・・・。
尊敬できる先生方もいらっしゃった。
「身を立て 名をあげ やよ励めよ」は立身出世主義だ・・・(゚д゚)!
ふむ、孝経などを知らないとそうとれるのかも知れぬ。
単に無知なのではないかと・・・。
変な理由をこじつけている感じがしますが、
要は左巻が席巻していたからということではないかな?
「身を立て」とは?
「視聴言動を正しくし、一身の本然を全くして、渾然成就する意味」
とは、中江藤樹の言である。
・・・まだ、良くわからないけど。
まあ、己の無知を棚に上げ、
曲解して毛嫌いするのは止めましょうってことで。